【感想】ゼロの無限音階

あらすじ

<完全会員制のコミュニティで仕組まれた愛憎と裏切りの残酷な物語>

イギリス、カムデン・ロンドン自治区。賑わうカムデンマーケットの裏路地に佇む寂れたビルの一室で、週に一度コミュニティが開催されていた。マーケットの喧騒が微かに聴こえるこの閉鎖された部屋で行われているのは、完全会員制の精神疾患アルコール依存症など様々な「見えない病気」を世間にわからないように改善させる治療。あまり自覚症状のない患者が病院に行き、重度ではないと診断されるとこの施設を紹介される。同じような仲間と語り合えるサークルのような場所で、週末のコミュニティが輪になって始まった。

テーマは「自分について」。

 舞台『ゼロの無限音階』銀座博品館劇場
 

演劇を観に行くときは、公式ホームページに載っているあらすじが頼りだ。出演者、演出家、原作、ホームページの雰囲気、インタビューで語られている内容、上演される劇場。様々な要素を組み合わせて、どんな作品かを予想する。私は、ゼロの無限音階を、陰鬱な演劇であると予想した。閉鎖されたコミュニティの中で生まれた人間関係がねじれて行き、人間の狂気的な一面が浮き彫りになるような。私はこれから、重苦しい空間でじっと息を詰める2時間を博品館劇場で過ごすのだろうと思った。

 

初日。場内に入ると、スクリーンに油絵の肖像画が映し出されていた。血まみれの少女の絵は少しずつ形を変えて、少年に変化し、そして少女に戻る。暗い色彩の絵が移り変わる様子は、二人の人間の人格が溶け合っていくようでひどく恐ろしい。幕が上がる。OPが始まる。海外ドラマのような音楽に合せて、登場人物たちが顔に手を這わせてゆっくりと振り向いた。一糸乱れぬ動きをする人々の暗くよどんだ目。これから始まる作品は、精神疾患罹患者の現実と人間の愛憎を描いた重い物語の予感があった。予感は、あったのだ。

 

その後、スクリーンが降りてきて、地球が映し出された。ヨーロッパにクローズアップし、イギリスが示され、ロンドンまで視点が寄る。そして、航空写真のような画像とロンドンの風景写真が投影された後、スクリーンが上がった。丁寧に導入されたので、私は、この作品の舞台はリアルなロンドンなのだと思ってしまった。

 

第一の場面は、ロンドン市警だ。本作の黒幕であるチャーリーと上司の会話が始まる。チャーリーは精神疾患を持つ者が集まるコミュニティへの出向を志願する。上司は尋ねる。どうしてお前ほどのエリートが出向を志願するんだ。チャーリーは答える。助けたいのだ、と。上司は言う。「エリート過ぎて神の領域に達しちまったってわけか」。私は「ん?」と思った。続いて上司、「俺個人としては、お前が選ばれないことを祈るよ」。んんん?

 

欧米人らしい軽快なやりとりをしたいシーンなのは分かる。けれど、肩幅があっていなさそうな衣装を纏う上司、台詞とボディーランゲージがイマイチかみ合っていない絶妙な間合い、精度が低い掛け合いなどにより、海外の風を感じることはできなかった。背景となっているCGが「CGです!!!」という存在感を放っていたのもよくない。

 

上司とのやりとりの後、チャーリーは後輩である女刑事アメリアと話す。アメリアはチャーリーに呼びかける。「チャーリー先輩!」。日本的な上下関係を表す敬称がアメリアの口から飛び出て、私は再び「ん?」と思う。人間の本質を描いた目を背けたくなるような重たい話を観られるという予感が旅に出る準備を始めていた。

 

実際に上演されたゼロの無限音階のあらすじはこうだ。

 

エマは、幼い頃に近所のおじさんから強制わいせつの被害を受け、高校の時は教師から強制性交の被害を受け、大学のときは彼氏とその友人から強制性交の被害を受けた結果妊娠し、中絶した*1。躁鬱を患っているエマはコミュニティに参加し、失感情症のレオンと出会い、なんやかんやあるのかないのかは分からないが恋に落ちる*2。エマを抱いて彼女を愛したレオンは、エマから過去の被害を聞いて男達に復讐する。レオンが殺人を犯していると察したエマは、犯行現場で犯行を目撃する。そして、レオンが憎んでいる対象を殺すと失感情症が回復していくことに気付いた*3。だから、二人で過去に自分たちを少しでも苦しめた人物たちを殺していくことを決める*4。コミュニティの参加者もとにかく殺す。本作の黒幕であるチャーリーは何らかの目的を持っており、観客が想像もできない超絶クレバーな作戦で裏で密かに暗躍する*5。エマとレオンはばったばったとロンドン中の人間をリズミカルに殺す。しかし警察に追い詰められ、心中することにする。レオンとエマは同時に拳銃を互いに向けて撃つが、レオンに銃弾が届くことはなかった。エマは死に、レオンは心神喪失が認められて精神鑑定にかけられ、不起訴処分で国外追放になる*6

 

シリアスなサイコサスペンスが観られるかもしれないという期待が消え去るシーンがある。本作の黒幕であるチャーリーが裏で糸を引いて、レオンとコミュニティの参加者・ペネロペを殺し合わせるシーン。 

チャーリーは、エマに「レオンを止めて欲しい」と頼まれたことを利用して、ペネロペとレオンを殺し合わせようと画策する。チャーリーの作戦はこうだ。

 

エマに、覆面の男に乱暴されたと嘘をつかせる。レオンは、エマから覆面の男に再び呼び出されたと聞く。レオンは復讐を決意し、覆面の男から呼び出された場所に行く。同時に、チャーリーはペネロペに対し、覆面を被ってレオンとの待ち合わせに行くように伝える。レオンは照れ屋だから、ペネロペの顔を見て話ができないのだ。エマは、待ち合わせ場所に行くのはチャーリーで、チャーリーがレオンを止めてくれると信じている。レオンは待ち合わせ場所にいる覆面を被ったペネロペを復讐対象だと誤認する。攻撃する。空手の達人ペネロペとインターネットで知識を得た最強の男レオンの殺し合いが始まる。

 

 呼び出し場所で覆面を被って黒ずくめの装束で待機していたペネロペは、チャーリーにナイフを向けられるが無言で応戦する。知り合いからナイフを突きつけられて、ペネロペが身元を明かさないのはおかしい。復讐対象は男であるはずなのに、あきらかに小柄な相手を前に疑問も持たずに攻撃を加えるレオンもおかしい*7。全部がおかしいが、レオンが無駄に強いことに疑問は生まれない。なぜなら、レオンはインターネットで得た知識を遂行する能力に長けているからだ。めちゃつよレオンに対峙するペネロペも、「私が強いってこと、忘れてた?」と暗黒微笑をキメているシーンがあるから彼女の強さもお墨付きである。

 

ペネロペの死をきっかけに、物語のご都合主義は加速し、Never EVERの超絶かっこいいサウンドとともに、サイコサスペンスから殺戮ショーに転換する。みんな死ぬ。ざくざく死ぬ。レオンとエマの顔には罪悪感も倫理感も浮かんでいない。音楽に合わせてざしゅざしゅバキュンバキュンと人が死んでいくのは鮮やかで楽しい。鮮血が吹き出すのも爽快感がある。

 

爽快戦国アクションゲームの舞台を観に行くつもりで来ていれば戸惑わなかった。おとぎの国で行われる精神疾患コミュニティの騙し合いと言われていたら、設定にリアリティは求めない。エマとレオンの周りにいる人たちがジュから始まる地球征服をもくろむ宇宙人なのだとしたら、命をなんとも思っていないような描写も「そうね」と思う。

 

初日。ゼロの無限音階は、現実のロンドンを舞台とした現代を描いた作品であり、人間の本性を浮き彫りにするようなシリアスなサイコサスペンスだと思っていた。だから、設定の甘さが目に付いた。病気を抱えている人間を描いた作品だというあらすじで覚悟していたような、精神疾患を持つものの生きにくさを受け止めるしんどさや、自分自身が抱えている健常者としての傲慢さを突きつけられるショックを感じることはなかった。

 

この作品が事前情報で期待した通りの作品であったかと聞かれたら、否だ。けれど、爽快な殺戮ショーとして観るなら面白かった。

 

 

 

*1:あるにはあるだろうけどそんなことある?

*2:エマ側の感情は特に描写されてない気がする。レオンはエマを抱いて恋に落ちてしまったようにも見えてそれはあまりにチョロすぎでは?ていう疑問がなくはない

*3:説明不足!!!なんでやねん!!!!

*4:本作で最もかわいそうな人物は義父

*5:なんかすげー目的があるらしいけどそれは明らかにならない。観客の想像に任せるテクニックかもしれない

*6:パワーワード「不起訴処分で国外追放」。

*7:まず手袋つけよう!指紋が残ると不味いよ!!