久遠瞬十が選んだ道【ライドカメンズ the STAGE】

 2025年1月11日。ライドカメンズ the STAGEの初日の日。私の手元には、チケットが1枚もない。それなら、と思い、劇場に行って当日券を買った。原作は知らない。特撮も通ってきていない。でも、そこから全てが始まった。

 

 全25公演。そのうち観劇したのは11公演。古谷大和さんが演じる久遠瞬十は、私が観た中で、一度として同じ人生をたどらなかった。洗脳されていたと考えていた日がある。自らの意思でカオスイズムに下ったのだと思った日がある。彼は悪に墜ちてはいないのだと信じたかった日がある。彼に救われてほしいと願った日がある。

 久遠瞬十は「洗脳されていたかどうか」を台詞や設定の中からは確定することはできないのだと思う。彼の信念はどのような意味を持っていたのか、彼と才悟が信念について話す場面がいつの時系列の話なのか。彼はどうしてカオスイズムに下ったのか。確定されるまでの事実が台詞や設定の中から拾えなかったから、私は、役者の芝居の中からそれを拾って考えるようになった。だから、私にとって、久遠瞬十の人生は、その日によって違う道をたどった。そうして、24公演を重ねた先、大阪公演千穐楽で、真に、久遠瞬十は仮面ライダーとして死んだ。

 

変化する感想

 【東京公演前半】久遠瞬十が洗脳されていると思った日

→ 彼は本当に楽しそうだった。だからこそ、「操られている」と信じたかった。

 公演期間前半、私はずっと、久遠瞬十が救われてほしいと願っていた。

 アカデミーで特訓をしている瞬十は、仲間たちと本当に楽しそうに活き活きと剣を交えていた。その様子には影がなかった。これが久遠瞬十の本当の姿なのだと思った。

 だからこそ、アカデミーがカオスイズムの支配下にあると知ったとき、瞬十の心は一度折れてしまったのかもしれない。正義のために鍛えてきた力は、世界に破壊をもたらすために奮わなければならなくなる。さもなければ死ぬしかない。だから、瞬十はせめて、5期生の仲間たちと一緒にいたいと願った。なのに、才悟たちはカオスイズムの手から逃れることが出来てしまった。唯一の希望としていたことも失った。瞬十にとってそれは、大きな裏切りだっただろうと思う。そうした失意の中にカオスの意思が入り込んでいったのだとしたら。

 ピアスは瞬十を洗脳していないのだと言う。けれど、敵に対して真実を話す道理はない。

 瞬十が洗脳されていたのだとしたら、悪の手先であることは彼の自由意志による選択ではない。仕方がない。だから、久遠瞬十は救われるべき存在なのだと思った。救われてほしいと思った。

【東京公演終盤】彼は自らの意思で選んだ?

→ 彼の言葉には揺らぎがなかった。それは、繰り返し考え抜いた末にたどり着いた答えのようだった。

 東京公演終盤、もしかしたら洗脳されていないのではないか、と思うようになった。瞬十の言葉は静かに響く。カオスイズムに従うのが使命なのだと語るときも変わらない。それは、瞬十の中で繰り返し考え続けてきたことであるようだった。何度も何度も考えて思考が染み付いているから、それを言うときも感情が波立つことがないとでもいうような。自分の中で当たり前になっていることを吐き出すような。だからその日、久遠瞬十は、自分の意思でカオスイズムに従っているのだ、と思った。

 おそらく瞬十は決断力があるのだと思う。だからこそ、自分で考えることをやめ、カオスイズムの思想に全てを委ねてしまうのは楽だったはずだ。物事を見て判断するときに、自分の価値を基準にせずにカオスの意思に全てを委ねる。決断もカオスの意思に従って行う。何も考えずに楽でいられれば、顔にはきっと笑顔が浮かぶ。自分が笑顔でいられる状態を勝ち取るために思考し、判断し、決断しなくてもよい。弱さだなあって思った。カオスイズムの思想に身を委ねるのは、瞬十の弱さだった。そしてそれはきっと洗脳ではない。

 カオスの力に手を伸ばすとき、瞬十が一度顔に手を当てて、再び顔を上げたときにはくっきりと笑顔を貼り付けるのをこれまでの公演で観てきた。その日、瞬十はずっと前を向いていた。顔に手をかざすこともなく、ピアスの声に揺らぐ心のまま力に手を伸ばして闇に呑まれていった。久遠瞬十は、久遠瞬十のままカオスライダーになる選択をしたのだ、と思った。生きることを選ばなかったように見えた。破滅へ向かいたがっているように見えた。

 カオスライダーに変身した瞬十は叫ぶ。

「俺はこの街の平和を--、壊す。」

 敵として仮面ライダーに立ちはだかることで、倒されることを待っているかのようだった。

 私はいつも、彼が「俺はこの街の平和を――」と叫ぶとき、

『守る』と続くことを祈った。

 

【大阪公演千穐楽】久遠瞬十の最期の選択

→ 彼には「戻れない時間」があった。選択の結果として、仮面ライダーになれなかった。
→ しかし、彼は最期に「仮面ライダーとして拳を振るった」。

信念の対話

 才悟と信念について話す久遠瞬十の声は静かだった。やわらかく語りかけるようで、それは言い聞かせるようでもある。それが私には、過去を愛おしむように聞こえた。正義のために戦うために仲間とともに訓練を重ねてきた時間に戻って、カオスイズムの久遠瞬十ではなくアカデミー生としての時間を過ごした。それでも瞬十の声には、才悟とともに肩を並べて戦う未来がないことが分かっているかのような響き。  

 私は大阪公演で、久遠瞬十は本当に自らの意思でカオスイズムの元に付いたのだという可能性を目の当たりにしたような気持ちになっていた。久遠瞬十には、ライダーたちが仮面ライダーとして活動して信念を持つに至った時間と同じだけの破壊活動実績がある。それはピアスから多大な功績と評価されるようなものだった。久遠瞬十には、自らの意思で平和を害してきた時間が存在している。だから、アカデミー時代でも、久遠瞬十は学生時代に浸りきることが出来るわけではなくて、頭の中にはカオスイズムの手先としての計画と計算は残っているのかもしれなかった。

 千穐楽、才悟と対話する瞬十は、才悟に何かを託そうとしているように見えた。かつてのどの公演よりも穏やかに話していて、「きっと強くなれる」という言葉にはやさしい柔らかい響きが残った。一人ひとりの名前を呼ぶときにも、一人ひとりとの時間を惜しむような切なさがあって、きっとだからだ。私はあの時間を、カオスイズムである瞬十の中に残る正義の心を、才悟に託した瞬間であるように感じた。

人狼  

 才悟が剣を突きつけたとき、目が大きく揺れるのを見た。呼吸は浅くなって大きく動揺しているようだった。  

 そうして瞬十が大きく息を吸った。心臓が跳ねた。彼はそこで、引き返さないことを決めたように感じた。瞬十は、アカデミーでの時間で、このまま卒業試験を受けたら仮面ライダーになれるかもしれないという可能性が、頭をよぎったことがあったのかもしれない。このまま卒業試験に辿りつけばみんなでカオスライダーになれるという暗い欲望を持っていたのかもしれない。アカデミーでの時間はきっと、瞬十にとって希望の時間で、手にしたかった願望だった。瞬十は大きく息を吸って、次の言葉で全てと決別しようとしているように見えた。かつての仲間と。仮面ライダーになれたかもしれない可能性と。かつての久遠瞬十と。

カオスの力  

 久遠瞬十はカオスの力を手にすることで、戻らないことを決めたのかな、と思った。かつての仲間たちと同じ道を進む可能性は絶たれた。もしかしたら、同期と過ごした時間の中で、自分が犯した罪や破壊してきた笑顔の数を思い浮かべたのかもしれない。自分の生き様が過っていたこと、かつての信念と違ってしまっていることに、心のどこかで気がついたのかもしれない。けれど、もう引き返せない。

 久遠瞬十は、カオスイズムに屈しない選択の先にある姿――仮面ライダー才悟の姿を目の当たりにした。エージェントの持つ石の力や、卒業試験の日に何が起きたのかを知らないであろう瞬十は、仮面ライダーたちは彼らの信念の強さや正義の心の強さによってカオスイズムに屈することがなかったのだと思ったかもしれない。瞬十は、自分の意思でカオスイズムに下ってしまった。信念が自分を強くするのだと語る瞬十は、自分の信念を曲げてしまったことを自分の弱さであると捉えたのかもしれない。かつての仲間に助けを求めることは、自分の弱さや罪に直面することであって、生き様を否定することでもある。瞬十には、それが出来なかった。  

 だから、彼は、カオスの力を手に入れて、カオスライダーとして仮面ライダーの前に"敵"として立ちはだかろうとしたのだろうか。カオスライダーとして圧倒的な力を手に入れることで、カオスの意思が世界を支配するかもしれない。そうすれば、瞬十の人生は肯定される。けれど心のどこかで、久遠瞬十は、悪として、仮面ライダーの敵として彼らの前に立ちはだかることで、倒されることを望んだのかもしれない。

仲間

 瞬十はどうしたって仲間を殺せなかったんじゃないかと思う。マッドガイと戦う瞬十は、変身したあとの顔が見えない。だけど声は悲しく聞こえる。

 陽真と話す瞬十は敵と対峙しているようには見えなくて、どこか悲しげで、迷子みたいな顔をしているように見える。陽真が自分の手を取らないとき、陽真にとどめを刺そうとするのではなく、街を破壊して心を折ろうとする。

 だから久遠瞬十は、才悟が駆けつけたとき、感情を顕に才悟の名を叫ぶのかもしれない。才悟であれば、瞬十を倒せるかもしれない。才悟が覚悟を決めて向かってきたのなら、瞬十にだって手を抜く余裕は無い。魅上才悟と闘うのなら、久遠瞬十も才悟を殺す覚悟を持たなければならない。

 

 

仮面ライダーの生き様

 千穐楽は、久遠瞬十はカオスイズムの手先だったのだ、ということを強く意識して観ていた。最初は、久遠瞬十がカオスイズムの元にいるのはなにか理由があると思おうとした。中盤では、瞬十タイミングさえ違えば仮面ライダーになれたかもしれない、真に悪として生きてはいなかった人なのだと思いたかった。東京の最後には、瞬十は自らの意思でカオスイズムについたのだと思うようになって、それは彼の弱さがそうさせたのだろうと思うようになった。今日はそのどれとも違って、久遠瞬十がカオスイズムの手先として悪事を働いていた時間があることを感じてしまった。

 だからこそ、仮面ライダーになりたかったのだと零す瞬十の言葉が重く届いた。正反対の人生を生きてしまったこと。犯した罪の重さ。信念を貫いて闘うことへの羨望。仲間と肩を並べて闘うことで得られていたであろう、瞬十が真に望んでいたもの。もう二度と瞬十が手に入れられないもの。  

 千穐楽、ピアスの攻撃からエージェントを守って、それでも崩れ落ちることのなかった瞬十に、息を飲んだ。久遠瞬十は、仮面ライダー才悟と仮面ライダー陽真と肩を並べて、ピアスの攻撃に備えて闘おうとしていた。瞬十の心は、才悟によって、ずっと前から仮面ライダーであったのだと認められた。瞬十は「そうだといいなあ」と声を揺らす。

 仮面ライダーは、信念を持って、人を守るために闘う存在。仮面ライダーのコンテンツに触れたことはないが、私は、この舞台でそれを知った。瞬十は最期に、仮面ライダーとして仮面ライダーの仲間と肩を並べて、エージェントを守るために、拳を向けた。久遠瞬十はその瞬間、確かに仮面ライダーになったのだ、と思った。自らが破壊してきた世界を守るために、瞬十は立ち上がった。きっと瞬十自身も、仮面ライダーとしての心を持ってピアスに拳を向けていた。闘うことで、瞬十はきっと、自分を仮面ライダーだと思いながら死んでいけた。

 瞬十が助けたエージェントが笑顔であったかどうかを、彼は見ることが出来なかっただろう。きっとエージェントは笑顔でなんていられなかった。でも、私は瞬十に命を救われた。瞬十は私を助けてくれた。

 久遠瞬十は、人生の最期で仮面ライダーであることを許されたのだと思った。

 彼は、エージェントを守るために拳を振るった。彼は背中を向けていて、私からは顔が見えない。何を思っていたのだろう。

 才悟は、『笑顔』を信念とする仮面ライダー

 瞬十は、『自分が笑顔になること』を信念としていた。

 だったら、仮面ライダー才悟と肩を並べて拳を構えた仮面ライダー瞬十の顔には、笑顔が浮かんでいたらいい。

 

 その日。

 久遠瞬十は仮面ライダーとして闘った。

 久遠瞬十は仮面ライダーとして死んだ。

 

 

土星人の主食は土である。【CHaCK-UP メモリートリップ ~勝手にCUFオフ会!~】

 2025年2月8日。

 白いニットに白いスカート、白いブーツに白いコートに白いバッグ。白いネックレスにイヤリング。数日前にやった爪も白くぴかぴかと光っていて、ありとあらゆるものが白かった。なんたって、レイ様にペンライトを振る日である。

 「白い服を用意して待っている」と何度も何度も繰り返し言ってきたけれど、長い間唱え続けるうちに、もはや祈りのようなものになっていた。その日、仕事に行くよりも早起きをして外に出た。すれ違う人たちからの視線をふわっと受け止め、全身真っ白な私が窓ガラスに映るのを見てようやく、自分の白さを実感した。すごい白い。すごい。本当にCHaCK-UPの現場に行く。

 映画館に着いて、そこかしこに原色に輝くオタクがいた。たくさんの人がCHaCK-UPのトートバッグを持っていて、映画館の客席は満員だった。そうして上映が始まって、ライブパート。「巌―――!」「ビンタして―――!」。白く光らせたキンブレを連結させずに両手に3本ずつ抱えて、胸の前にどうにかこうにかうちわを抱えながら、飛び交う声援を耳にした。思い出した。そうそうそう、ドルステってこういう場所だった。

 『CHaCK-UP〜銀河伝説〜』が始まったとき、私のペンライトと隣の見知らぬチャームのペンライトが同じ軌道を描いた。「ハイ!」と叫ぶタイミングが前後左右とぴったり合うのが気持ちよかった。『初恋シチュエーション』を真似しようとして脳トレみたいになって混乱してハートの軌道だけを真似してみたり、『ON TOP!』で「君」を指すとき、赤く光らせた私のペンライトに遅れて、隣の緑が前を指したりした。『Joker Game』の歌詞は改めて聴くとむちゃくちゃセクシーですげえなと思ったけど、そんなことよりなによりペンライトを振ることに夢中だった。CHaCK-UPにペンライトを振ることなんてなくなって久しいけれど、『無重力LOVE』を聞けば、身体が勝手に動いていた。

 宇宙人を信じる世界を守るためには現実が邪魔で、だから、私には、チャームの友達がいない。だけど、CHaCK-UPを応援する日々で感じていた楽しさの半分は、客席で見知らぬチャームと大騒ぎする楽しさでできていた。

☆☆☆

 私は小さい頃からずっとオタクだった。一つのことに熱狂したり執着したりするような性質で周りから浮いたり、からかわれていたことがある。2015年頃は、たしか、今ほど「オタク」という存在は一般的ではなく、キラキラしたものでもなく、陰キャの象徴のような頃だった気がする。

 だから、CHaCK-UPを好きになったとき、どうすればいいか戸惑った。自分の熱狂や執着は、他人から見れば気持ちの悪いものかもしれなかった。レイ様の実在を信じて熱狂することはできる。天宮王成くんを実在の人物として扱うことだってできる。舞台の上に作られた虚構を現実のように扱って、その中に自分の存在を投影することだって、できる。なぜなら私はオタクだから。

 でも、その“ごっこ遊び”をどこまでやっていいのかは分からなかった。先人チャームを探して真似てみようにも、公開垢にはほとんど見当たらなくて、そういうとき、CUFのブログに行き当たった。そのときの衝撃たるや。どれを読んでもマジだった。半笑いでなんとなく設定をこなしている雰囲気は微塵もなくて、ブログの中で、宇宙人は実在し、アイドルステージの世界が広がっていた。いいんだ、って思った。こうやって楽しんでもいいんだ。少なくともここでは、徹底的にごっこ遊びに興じても、「キモい」と笑われることはないんだ。

 オフ会で、CUFがCHaCK-UPについて話すのを聞きながら、10年前に考えていたことを思い出した。やっぱり全然勝てない。私がどれだけCHaCK-UPのことを好きだといっても、新曲が出るたびに稽古場で応援練習を重ねたりはしない。『Check in and Go』を踊れるわけがない*1。銀河伝説の腕の角度なんてわからない。私がどれだけ思い入れを語ってみせて、映画館で踊り狂ったとしても、同じくチャームであるはずのCUFには全然勝てない。それがうれしい。どれだけ全力で応援してもCUFに追いつくことができないから、いつまでもいくらでも「アイドル大好き!」「アイドル最高!」と騒ぐことができる。

 だれかを『推す』ということは、今はもう市民権を得ていて、誰もが推しを持つような時代になっている。けれど、CHaCK-UPが活動を初めたのは『推し活』という言葉が生まれて広がる前のことだ。だからきっと私は、誰かを応援する楽しさも、それを楽しむための方法も、虚構の世界に身を投じる面白さも、全部CUFから教えてもらったのだろう。

☆☆☆

 CUFのトークは、最初は遠い記憶をたぐるような語り口だった。だけど次第に、やけに細かい話がたくさん出てきた。チャームがよく覚えているのと同じような細かい話。土星人は土を食べないし、宇宙人と手羽先には密接な関連があるし、ポミィは地球に詳しくて毒舌だし、ミミタはたぶん兄ポジではない。反復横跳びでジュジュの足がぐねってるのは記憶にはないが、「ジュジュとミミタが踊るよー」と全部説明してくれるマルは私も好き。写真集を出すときにメイクをしたら遠近感が狂ったキャップも好きだし、濃い顔と薄い顔でちょうどいいバランスになってるのもなんか好き。

 宇宙人に初めて出会ってから10年が経っていて、会えない時間がたくさんあって、それがようやくオフ会にまでたどり着いたので、エモくてノスタルジックなことを言おうと思えばいくらでも言える。そうやってCHaCK-UPのことを懐かしんで大切にしてきた。だけど、CHaCK-UPへの好きの半分は「面白さ」が占めていたことも確かだった。CUFの細かなトークに共感したり「いや?」と思ったりしながら、それを思い出した。宇宙人はやっぱり地球人から見たら変だ。応援練習と称してCHaCK-UPを"応援"するために自腹で稽古場を借りて練習を重ねたと話すCUFも変。自宅最寄り駅で浮くのを気にせずに全身を白で固めて、たくさんのペンライトを光らせて筋肉痛になるまで振り回して、横浜でクッキーを買ってドリンクをやまほど飲んで、売店に立つCUFを「サンキューでーす!」と見送って、女装姿の宇宙人から友チョコをもらって、鏡をたくさん買うのも、今思えばちょっと変だった。

 令和でも変わらずドリンクをたくさん飲んで、飲んだ数を競い合った。思い出を懐かしむつもりで映画館に向かったのに、銀河伝説の振りを覚えて帰ってきた。今更である。「星」を描いた後に「?」に移行するまでの間をどうしたらいいのかわからなくて、いつもしっくり来てなかった。CUFが完コピしてるのをみてようやく分かった。はやくもう一度振らせてほしい。CUFが完コピしてくれたチェキゴじゃ物足りない。だって彼らは地球の男なのだから。

 『CHaCK-UP メモリートリップ ~勝手にCUFオフ会!~』は、過去を惜しんで懐かしむだけの日ではなく、発光したたくさんのチャームに囲まれてペンライトを振り回して、宇宙人の変な話を新しくたくさん聞いて、新規グッズのためにドリンクを飲んで、CUFにはやっぱり勝てないと思う日だった。新規チャームもきっとたくさんいて、一緒に盛り上がっていたはずだ。2025年2月8日は誰にとってもCHaCK-UPに新しい思い出ができた日。令和に手に入れたCHaCK-UPの新規のグッズはスマホカバーに挟んだ。次の日、腕はしっかり筋肉痛だった。

 CHaCK-UPは過去じゃなかった。

 彼らが今、何億光年先にいるかは知らないが、一刻も早く、アインシュタインを打ち負かして駆けつけて欲しい。

 チャームはいつだってみんなを地球で呼んでいる。

- YouTubeyoutu.be

*1:CUFはチェッキンって略すんだね…… 一般チャームはチェキゴです

アイドル大好き。アイドル最高。【ネルフェス2024後夜祭】

 2025年1月21日。

 平日のその日、私には当たり前に仕事があって、ペンライトを持つのも忘れて家を出た。ネイビーのつまらないワンピースを着て、髪は適当に巻いた。顔には仕事用の簡単な化粧を施すだけ。うちわも用意することもしなかった。アンプラネットに久しぶりに会えるのはうれしかったけれど、私はCHaCK-UPが好きだったわけで、アンプラネットはその流れでなんとなく見てたんだよね、という程度の認識だったからだ。今日は"自分の現場"ではなく、気軽に遊びに行って、なんとなくエモい気持ちになって帰ってくるはずの日。

 アンプラネットがステージに現れた瞬間、気がついた。全然そんなわけがない。  

 TDCの第2バルコニーのセンターからは、ステージの上を見下ろすような形になる。ちょっと遠くて、でも、ステージの奥行きも広さも感じられて、全体がそのまま目に入る。ポミィがステージの上を軽やかに飛び回ってフォーメーションを変えていくのを見て、品川や新宿の劇場を思い出した。どんな席に入っても目が合うような距離にいて、実際に目が合う瞬間が何度もあった彼らは今、遠いステージの上を広々と使っている。

 照明が客席を照らして、音響が座席を震わせた。

 私の両隣の人はペンライトを持っていなくて、2バルにはビジューでない人々もたくさんいただろう。だけど、『get STAR』で「ポミィ」と叫ぶとき、「アン!プラ!ネット!」と叫ぶとき、私の声が浮き上がることがなかった。2バル中に響く他のビジューの声と混ざって、それはひとつの塊としてステージに向かっていった。コロナ禍が明けて、声出しができる舞台も増えていって、最近のライブでも私はたしかに声を出していた。でも、腹の底から、周りを気にせずに大騒ぎしたことは実はあんまりなかったのだと気付く。なんとなく周りと合わせて声を出して、ちょっとだけ高揚して、空気と間を読んで適切な歓声を向けるようなことばかりだった。なりふり構わずにはしゃいで、それを客席とステージとで共有する楽しさを、私はすっかり忘れていた。

 

 ライブが終わってステージを思い返しながら、2018年の私だったら、広いステージの真ん中に立って堂々としているポミィの姿に美波日音の才能を感じてみたり、準惑星人という“設定”であると説明するMCに「面白いことを言う」と異様な大笑いをする姿に海王星人の本質を見た気がしたり、息切れするサティから地球適応型スーツの性能を考えてみたりしていただろうな、と思った。私はそうしてCHaCK-UPとアンプラネットを見てきたことを思い出した。アイドルたちと同じ時間を生きていたとき、全てのことが宇宙人に繋がっていた。彼らと過ごす日が一日増えるごとに、宇宙人の断片が集まった。

 アイドルステージを観ているなかで、高校生だった天宮王成は卒業して、美波旅生は留学した。火山武はアルタイルを歌い、後輩が入学してきてアンプラネットというグループができた。ダブルワークが結成され、鏡をたくさん買った。"ごっこ遊び"の出来事は、現実の都合に合わせて柔軟に形を変えていったものでもあって、そのときどきで舞台を観ながら、進んでいく時間を一緒に歩いてきた。モラトリアムの期間を過ごしていた当時の私は、SOJ学院の学生である彼らと同じものを見ているつもりでいた。

 宇宙人アイドルと過ごした日々はたしかに私の青春だった。

 昨日、久しぶりに『宝の地図』を聴いた。もし大人に笑われてもうらやましいんだろと笑い飛ばせるような場所に、私はもういなかった。青春まっただ中なんて言えもしない。CHaCK-UPに会えなかった時間の中で私は大人になって、学生の葛藤を描いた物語に同じ目線で共感して楽しむことができなくなっていた。それでも、2025年に観た『with you』を思い返す。まるでこの7年がなかったかのような構成でライブをした彼らの歌には、7年の時間の成長と文脈が乗っていた。

 この先の長い時間のどこかで、CHaCK-UPのスペーストリップが地球で再び行なわれる日があるのかもしれない。そしたらそのときは、私と同じだけ年を重ねたーーあるいは地球適応型スーツの経年劣化を経た彼らがそこにいて、きっと“今”を感じさせてくれるのだろう。

 宇宙人を忘れたことはない。

 けれど、長い時間の中で少し奥の方にしまいこまれていた。アンプラネットのライブを経て、彼らの存在が私の中に鮮やかに戻ってきた。そうなってしまえばもう、地球の男では物足りない。完全無欠の愛がほしい。

愛すべき虚構

大人の「ごっこ遊び」

 ネルケプランニングが企画制作している舞台シリーズ「アイドルステージ」。私はそれに登場する宇宙人アイドル・CHaCK-UPが好きです。

Q.アイドルステージってどういうものなんですか?

A.一部にてアイドルグループ結成〜団結のお芝居を、 二部にて、本格的なアイドルライブを上演するシリーズです。

チケット一般発売明日10時より!&「Q&A」更新! - プレゼント◆5 OFFICIAL BLOG

 

 このシリーズでは、AW(アナザーワールド)というシステムが採用されています。AWとは、作品内のアイドルが現実に存在している世界線のこと。

Q.パンフやブログに出演者の名前がないのですが…。

A.アイドルステージ「プレゼント◆5」には、 “舞台にてキャラクターを演じる出演者”という観点はございません(公演概要ページ等、例外あり)。 作品内のアイドルたちは「現実に存在している」前提のもと、 舞台における二部のライブ、Twitterやブログなどを公開させていただいております。 大人の「ごっこ遊び」を、出演者の皆様と共にお楽しみいただけますと幸いです。

チケット一般発売明日10時より!&「Q&A」更新! - プレゼント◆5 OFFICIAL BLOG

 現実の世界では、役者である古谷大和さんが天王星人☆レイを演じていますが、AWでの彼は天王星人☆レイの友達という設定で「ごっこ遊び」をしています。古谷さんは、レイ様の「お友達」としてCHaCK-UPのライブに足を運び、客席からCHaCK-UPにペンライトを振っている。ということになっている。

古谷 大和 on Twitter: "そして、こちらが僕の友達
天王星人のレイくん。

 

 だから私もCHaCK-UPの話をするときは、「AWの私」という設定を作り、ごっこ遊びに興じることにしました。ちなみに「AWの私」は、天宮王成=天王星人レイの可能性を頑なに見ないふりをきて、宇宙人の実在を信仰しています。

 つまり、これから書くことは、CHaCK-UPというアイドルが存在し、私が天王星人☆レイを推しているということを除いて全てフィクションです。

 

AWの私と天王星人☆レイ  

 小学生の頃、私は、影で「宇宙人」と呼ばれていた。友達はいなかった。みんなが私を遠巻きにして、ひそひそと何事かを囁いた。いじめられていたわけではないと思う。少なくとも、後ろの席に座っていたみゆちゃんは、私からプリントを渡されることを拒否しなかった。給食の配膳だってさせてもらえた。グループワークで机をくっつけるときに微妙な空間ができたことはないし、バイ菌扱いされたことだってない。私がまとめたノートは大人気で、クラスでいちばんかっこよかったしょうくんはいつも私に「宿題のプリント見せて」とねだった。けれど、休み時間にドッジボールに誘われることはなかった。かわいいメモ帳を折って作った手紙をくすくすと笑いながら交わし合うことも。だから私は、休み時間になると必ず、引き出しの中から本を取り出してページを捲った。SFが好きだった。小説の中に描かれた宇宙人は、時に地球人を凌駕する知性で人類を翻弄し、時に人間と種族を超えた友情を築く。周囲が私を「宇宙人」と呼ぶならば、私は優れた知性を持っているのかもしれない。私が「宇宙人」であったとしても、いつか私を理解してくれる人が現れるかもしれない――。

 中学、高校、大学。年を重ねるごとに社会性が身について友達もできた。人間関係は相互の歩み寄りだと知った。ひっつめていた髪の毛に縮毛矯正をかけて、コンタクトを買った。もう「宇宙人」と呼ばれることはなかった。SFもあまり読まなくなった。一緒の時間を過ごす友達が出来た。好きな人の話ではしゃいで、部活にも打ち込んだ。だから、小説は読まなくてもよかった。

 大学院に進学することにした私は、上京することにした。2015年1月。春から住むアパートの内見に来て、せっかくだから東京でしかできないことをしたいと思ってふらりと立ち寄った劇場で、衝撃的な出会いを果たす。忘れもしない新宿サザンシアター。そこに、宇宙人がいたのだ。

 宇宙人アイドルを名乗る6人は、日本人の男性と同じ容姿をしていた。宇宙服のような衣装を纏い、ピコピコとした楽曲を歌い踊っている。

 グループ名をCHaCK-UPと名乗った彼らは、太陽系の惑星出身であるという。グループのキャプテンである天王星人☆レイは天王星の王族で、王族としての暮らしに飽きて星を飛び出し、各惑星からシャトルクルーを集めてCHaCK-UPを結成したのだそうだ。日本人男性の容姿をしているのは、彼らが地球に来た際に、地球環境に適応するために「地球適応型スーツ」を着用しているからだという。合い言葉は「背中のチャックは開けないで」。宇宙服を模した衣装の背中には大きなチャックがあり、そこを開くと宇宙人の本体がいる。

 それまで私はアイドルのコンサートに行ったことなど一度もなかった。けれど、アイドルが好きな友達の話を聞いて想像してみたことはある。想像の中のコンサートは、数千人が入る大きなホールの中で華やかな照明と衣装できらきらしくショーアップされたアイドルが、輝く笑顔を振りまくものだ。私の目の前で行われているライブはそんな想像よりもずっとこじんまりとしていた。でも、目が離せなかった。会場には妙な一体感がある。左隣に座る見知らぬ女性は街中で見たことがないくらい鮮やかな黄色を纏っていて、彼女が持つ6本のペンライトはCHaCK-UPの振り付けをコピーするように複雑怪奇に動く。

 短い時間のスペーストリップーー彼らはライブをそう呼ぶーーは、あっという間に終わってしまった。最後に、アイドルたちがお見送りをしてくれるという。よくわからないまま係員の案内にしたがって席を立つと、廊下を少し進んだところにキャプテンレイが立っていた。後方からステージを眺めていたときも端正な印象を持っていたけれど、近くで見るとすさまじく美しい。一歩前に進む。目の前に立つ。宇宙人と目があった。思わず「好き」と口から零れた。彼は「私もだ」と穏やかに微笑んだ。

 

 宇宙人は存在したのだ。

 

 子供の頃、寂しさを紛らわすために信じていた宇宙人は実在していた。彼らは日本で地球人を幸せにするためにライブをしている。彼らの存在をこの目で見ることができる。彼らの歌に合わせてコールをすることができる。彼らの生態を知ることができる。美しくて、ちょっとお茶目でたくさんの人から愛される「宇宙人」がたしかに存在している。彼らと言葉を交わすことだってできる。宇宙人は存在した!!  

 私は、初めて目があった宇宙人をレイ様と呼んで「推す」ことにした。「推す」といってもSNSで呟くことはしなかったし、情報を積極的に集めることもしなかった。CHaCK-UPに魅了されたファンを「チャーム」と呼ぶが、チャームの友達を作ることもしなかった。ファンレターも書いたことがない。ただライブに行ってペンライトを振った。  

 レイ様は、上に立つ者特有の不遜さと穏やかさが共存している不思議な人だった。ゆったりとした声で地球人からしたらボケてるとしか思えないことを真面目に語る。ツッコミ不在のMCは混沌に包まれていた。パフォーマンスをしているときの彼はときたま無邪気な笑顔を浮かべていて、昭和の歌謡曲のようなソロ曲で「惚れた女には意外と弱いぜ」と鼻にかかった甘い声で歌うから、ときめけばいいのか面白くなればいいのかいつも分からなかった。全部がたまらなかった。私の世界は、私とレイ様で完結していた。こうして余計なことを知らずにいれば、宇宙人は私の中で永遠に存在し続ける。  

 2018年2月。CHaCK-UPが所属する芸能事務所であるアーストライアル社のアイドルたちが、バレンタインにライブを行うという。私はいてもたってもいられずに、うちわを新調して白い単色ペンライトを買い、そして、白い服を買い漁った。その公演の最終日、物販列に並びながら一つの予感が胸をよぎった。レイ様に会えるのはこれが最後になるのではないか。  

 その頃、CHaCK-UPの活動が減り、彼らの後輩である準惑星アイドルたちが活動の幅を広げていた。メンバーが全員揃っている姿を見ることはなくなり、ライブに参加する宇宙人も一人、また一人と減っていた。そろそろ地球から離れてしまうのかもしれない。そんな不安を胸にお見送りの列に並ぶ。レイ様の前に立つ。「また会えますか?」と聞くと、彼女はーーレイ様はバレンタインに女心を理解するべく女装をしていた。そういう突拍子もない発想が宇宙人じみていて好きだーー、「もちろんよ」と微笑んだ。

 あれから4年が経った2月。シャトルクルーであるヴィーとヘルプクルーのポミィが地球を訪れた。彼らはライブでレイ様から預かった手紙を朗読してくれた。そこに書き記された言葉は穏やかでどことなく気品があって、まさしくレイ様が書いたものだった。私はうれしくなって手紙を書いた。宇宙に手紙を送る術を持たないから、レイ様と顔のよく似たお友達に託した。どうやらレイ様に渡してくれたようだった。うれしかった。宇宙人である彼に宛てて手紙を書くとき、私はこれまでよりも強く宇宙人の存在を感じた。地球に降る雪は天王星と同じものなのだろうか。レイ様は日本の春をどう感じるんだろう。私はレイ様のことを何も知らなかった。当たり前だ。彼は宇宙人なのだから!!  

 CHaCK-UPとレイ様は、今日もどこかで誰かを幸せにするためにスペーストリップをしているはずだ。たとえ彼らが地球を離れたとしても、私がレイ様を好きなことは変わらない。スペーストリップが行われなかった4年間でも宇宙人の実在を信じ続けてきたように、これから先も信じるだけだ。  

 私は再びSFを手に取った。空想科学は、大好きな彼がどんな世界を見てるのかを想像させてくれる。銀河のどこかで、かつて地球でスペーストリップをしていたことを思い出してくれるだろうか。

 宇宙人に出会った頃には大学生だった私も、社会に出て仕事についた。仕事は面白くないわけではないがつらい。帰り道、ふと夜空を見上げると星が瞬いている。何かが始まる予感がする。 

「CHaCK-UP~銀河伝説~」-CHaCK-UP - YouTubeyoutu.be