【感想】舞台『12人の怒れる男』大阪公演

ナイスコンプレックス プロデュース公演 第6弾 『12人の怒れる男
原作:レジナルド・ローズ
脚色/演出:キムラ真

会場:大阪市立芸術創造館

 

<あらすじ>

舞台は陪審員室。部屋には陪審員の12人の男たち。

父親殺しの罪で裁判にかけられた16歳の少年は、有罪が確定すると死刑が待っている。

この審議に12人中11人が有罪で一致しているところ、陪審員8番が無罪を主張する。人の命を左右することに疑問を持った8番は、議論することを提案したのだった・・・

YAhHoo!!!!:ナイスコンプレックスWEB

 開演すると照明が落ち、場内が暗闇に包まれる。目が慣れず何も見えないところに裁判長の声が朗々と響く。これから議論する内容の重さがずっしりと観客にのしかかるなか、テーブルに薄らと照明が当たり、舞台が示される。

 丸いテーブルを囲う12脚の椅子、給水所として置かれている水のタンク。舞台セットはとてもシンプルだ。

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※撮影OKだった写真

 

ところで去年の東京Aチームの7号

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 去年。初めて観たナイコン12人は、私にとって7号と3号の話だった。陪審員たちはこの裁判で出会い、お互いに名前を知ることがないまま議論を重ねる。12人は12通りの性格をしていて、議論の本筋以外でもぶつかり合い、人間関係が生まれる。3号は、昔、自分の息子を殴って男にしてやったと言うが、息子はそれから家を出てしまい10年ほど音信不通だ。被告人である少年と息子を重ねて、親に歯向かう息子は死刑になればいいと思っている。対して7号はナイターの試合に意識が向いていて議論はどうでもいいと思っている。7号も被告人の少年と同じく、父親に殴られて育てられた過去があるようだった。

 序盤。3号が大声で何かを主張する度に、口端を歪めて曖昧な笑みを浮かべる7号が印象的だった。笑おうとして失敗したような。「俺はおやじに殴られたりしたけれど恨んだりはしていない」という台詞を言葉通りに受け取れば、7番と父親の関係は悪くはないのだろう。けれど、彼の顔を見るとそうとは思えない。

 ラスト。3号は被告人に息子を重ねて有罪に固執していたが、手帳から落ちた息子の写真を目にしてとうとう被告人の無罪を認める。泣き崩れる3号を陪審員たちが見ているなかで、7号の靴の音が「トン」っと響いた。3号と椅子の上で片膝を抱える7号に照明が当たっていて、二人の間には“何か”が感じられた。

 もしかしたら、7号と父親との関係はよくないのかもしれない。嫌っている父親を重ねて見ていた3号が、息子の写真を見て泣いている姿を前に、自分と父との関係を改めて振り返っているのかもなとも思う。

 若い頃は、親を完璧な存在だと無条件に信じてしまいがちだ。それがいつしか欠点のある普通の人間であると気付く。7号は3号を通して、自分を殴っていたりしていた父親も、3号と同じように情けない面を持つただの人間だと気づいたのかもしれない。現実を知った寂しさのような。その静かな横顔が好きだった。やかましく騒ぎ立てて本心を覆い隠しているような7号の心がさらけ出されている、そんな感じがした。

 評議室を去るときの7号は、3号に手を差し伸べたりはしていなくて、交流が生まれることもなかったけれど、何かを言いたそうに見えた。よく分からないけど、よく分からなかったからこそ、この先二度と交わらないであろう二人が切ない。

 ……という感想を去年持ったので、2021年の大阪Aチームの7号がとても新鮮だった。

 

大阪Aチームの7号

 糠信7号は、12人の中でも背が低い方で歳も若い。遠目からでもぱっちりとした目が印象に残るし、顔立ちも幼く見える。スーツやジャケットを着込んでいる人が多い中でデニムと柄シャツを身にまとっているのも相俟って、TPOをわきまえない成人したての若者のようだ。

 彼は、他の陪審員からも子供扱いされている7号でもあった。8号は、被告人の弁護人は国選弁護人なのだと7号に説明するとき、言葉を噛み砕くように話す。去年、8号を見て淡々と理論を積み重ねていく冷静で公平な人物だと感じていたこともあり、7号を子供扱いする様子が際立った。他の陪審員にちゃちゃを入れる7号の立ち回りも、大人から相手にされない子供がちょっかいを掛けて気を惹こうとしているようにも見える。

 そんな7号は、11号とのやり取りが印象的だ。

 11号は、時計職人の移民であり、これまで多くの偏見に晒されてきたことを伺わせる。陪審員制度に誇りを持っていて、議論にも真摯に取り組む人物だ。

 11号が「合理的な疑いの意味はわかっているか」と問うとき、その質問には、年下の子供の理解度を確かめているような響きがあった。7号は「ガキ扱いしやがって」とキレる。

 去年は東京の2チームしか観ていないが、他のチームの7号からは、周りからバカだと思われることを怖がって強い言葉を使っているような印象を受けた。Bチームの7号も周囲からバカにされたと感じることで爆発していたようだが、”ガキ扱い”されることにキレたりはしない。30代前後の役者が演じる7号は、ガキと呼ばれる年齢ではないから自分がガキだという意識もなく、ガキ扱いされたところで痛くもかゆくも無いだろう。1号は子供っぽいと指摘されると怒るけれど、1号の“子供っぽさ”とB7号の“ガキっぽさ”は異なる性質ものだ。

 7号と対峙する11号は年長者の顔をしている。7号と周囲の陪審員たちの対比が彼のガキっぽさを強調する。7号は、大人達から対等に扱われないことに怒っている。

 7号が投げやりに「無罪」と宣言したとき、11号はどうしてと詰め寄った。11号は何度も理由を問う。何故です。肩を揺さぶって、目を合わせて。声には次第に熱が帯びる。役者同士は20歳差、身長も15cm近く違う。11号は怒っているというよりも、人の命が掛かっている場面で安易な行動を取る7号を叱っているようだった。脱ぎ捨てた柄シャツを握る7号の右手は力を込めすぎて震えていた。口からは問いに対する答えが出てこない。それでも11号は問い続ける。何故。

 訪問販売のセールスマンをしている7号は、出たとこ勝負をモットーにしている。そんな彼は人の命を左右するような重い議題に向き合ったことがあるだろうか。他人から向き合って叱られたことは。

 手の震えと歪む横顔に、7号の未熟さを見た。未熟な彼に人の命を左右する決断に関わらせるのは酷だと思う反面、「疑問があるから有罪に」と口にしたときに7号が感じたであろう重みはこの議論の当初から感じているべきものだったとも思う。

 ラスト、評議室から出る7号と11号の視線が交わる。11号を見上げる7号の横顔には、なんともいえない雰囲気があった。あの瞬間がとても好きだった。

 大阪 Aチームは、私にとって、7号と11号の物語でもあった。

 

関西弁だとまったく違って見える12人

 私の母国語は東北弁なので、こてこての関西弁はもはや外国語である。

 大阪Bチームは、12人のうち7人が関西弁で演じる。冒頭、標準語だと少しピリっとした雰囲気のある初対面での探り合いのやりとりも、過半数が関西弁だと一気に和やかな雰囲気になった。10号の尖った発言も、どっとウケたような空気が作られて流されていく。3号も声の大きい少しやっかいなおじさんという印象で、職場で嫌いな部下にパワハラとかしてそうだけど、取引先には好かれていそう。その中で「話し合いましょう」と標準語で頑なに主張する8号は、全く空気が読めていないように見える。

 8号は、評議室に入ってから、周囲の人とほとんど言葉を交わすことなく窓の外をじっとみていた。前傾姿勢で、少し肩を丸めて。相互にコミュニケーションを取り合って場を暖めるような印象のある他の陪審員たちの関西弁でのやりとりとの対比で、8号の言葉は浮いているような気がしてしまう。

 同じ作品なのに、方言で演じられると全然違う。1号は標準語だが芸人さんが演じていることもあってか全体的に賑やかで、同じ脚本を演じているのに、Aチームとは議論の流れも全く違っているような気すらした。面白い。


ナイコン12人2021

 この作品の舞台を現代日本に設定しようとする意気込みを感じたのはよかった。現代ではだれでも当たり前に持っている携帯電話を評議室で使う人間がいない理由にも説明が加わっている。一秒の判断が問われる株のトレーダーである4号が新聞で情報を得ているとするならばとんだポンコツで、彼の立ち居振る舞いからにじみ出る自信には何の根拠もないことになってしまうことを考えると、よい変更だったと思う。デジタル派4号と紙派3号のやり取りによって、キャラクターに深みが増す。

 目撃者女性の証言の信用性を検討する際に「女性はコンタクトを付けていたのではないか」という疑問が上がるのも、コンタクトレンズが普及した現在では当然生じうる疑問だろう。原作映画が放映された当時から変化した技術に合わせて、細かな描写が変化しているのは面白い。

 しかし、作品の舞台を現代日本に設定するのはやはり難しい。ナイフでの喧嘩が日常茶飯事なスラム街と言われてもピンと来ないし、現代が舞台であるならば、陪審員が全員男性というのもアンバランスだ。目撃者女性の証言の信用性を否定する議論は女性蔑視だという批判も生じうる。何らかの手当が必要だろう。また、陪審員制度はこの国が誇るべき制度だと語る11号のセリフも、"この国"の特徴として自由が挙げられているから違和感がある。日本社会の外国人を取り巻く現状に鑑みると、日本の法制度や社会制度を誇りに思う移民がどれだけいるかも疑問だ。

 細かいことは様々あるが、作品が持つテーマは普遍であり、ナイスコンプレックスの12人の男は面白い。同じ演目を年をまたいで見続ける楽しさも見つけることが出来た。東京公演も、来年の12人の怒れる男も楽しみだ。