【感想】要、不急、無意味(フィクション)

 ここのところは概ね家にいる。SNSで流れてくるメッセージは、現状への不満、啓蒙、批判、擁護、日常で、少し前とは様変わりした。抑圧されて、停滞しているのを感じる。そんな風潮になってしまった世の中では、誰かと通話をつないで無意味な話に興じることのありがたさが増した。

 

 スカイプの通話ではやりのオンライン飲み会をしている4人の男性が繰り広げる会話には既視感がある。たった2枚のマスクを配る政策を「そんなの意味ないじゃんwww」と批判して、他の政策もぱっとしないと愚痴を言い合う。会話の内容も、取り上げられる事柄も、私が日ごろ触れる意見とほとんど変わらなくて驚く。たぶん給付金支給の要件を満たさないだろうという会話は、私もつい先日したばかりだ。

 画面の中の1年後、比較的自由のある自粛はディストピアに変貌する。夜に電気をつけることはできず、食料は配給制になる。髪を切りに行くにも通話をするにも許可証が必要になり、許可証を持たないまま通話していることがばれれば近隣住民に通報されてしまうかもしれない。

 作品の冒頭でスカイプで飲み会をすることに対して戸惑いがちな雰囲気を漂わせた4人は、1年後、手慣れた様子で真っ暗な部屋の中から配信を繋ぐ。

 「改憲されて人権がなくなった」という台詞が印象的だった。未曽有のウィルスの混乱に乗じて、今当たり前に有している人権すら制限するような憲法が成立してしまうかもしれない。まだ自粛が緩かった頃にマスク政策擁護派からクソリプをもらった秋元(役名)の言葉を思い出す。現在、現実では、小さな声だとしても声に出すことが大切だと思っている人たちがたくさんいる。現実でたくさんいるということは、この現状がある程度投影されて作られたフィクションの中でもたくさんいたのだろう。それでも憲法改正が成立してしまう。

 ぞっとするような世界は、想像しているよりも近くにある。コロナウィルスが存在する前に触れたディストピア作品と、今触れる現実への近さが違う。「これは遠い話の世界ではない」という感覚にぞっとする。マスクを批判するのと同じようなテンションで、スカイプで、外出許可証の発券が受けられないことを愚痴る未来が来たらどうしよう。政府批判にラインは使えない。政府に監視されているのだから…。

 

〈加藤拓也 コメント〉

 

いわゆる演劇の中継や過去作品の配信ではなく、配信の特性をそのまま作品と上演に持ちこんで、それの、配信や生放送ドラマとの違いを体験しながら、演劇の性質は一体どこに担保されて、どこに求めているのか、インターネットをクローズドにして、今この環境の中、この機会に改めて自分の中で検討してみたいと思います。

インターネット公演『要、不急、無意味(フィクション)』 | 劇団た組 HP


 スカイプで上演される演劇に初めて参加した。

 スカイプという機能ありきで作られた演劇であるところに特質があるのかなって感じたけど、難しいことはよくわからない。

 

「家で演劇を観る」という心許なさについて。|山野 靖博(ぷりっつさん)|note

 このノートにも書いてある感覚が私にもあって、家の中で舞台の映像を観ることがどうしても苦手だ。いつでも観られるなら今じゃなくてもいいと思ってしまうし、巻き戻しや早送りが出来る媒体を使うとどこかに油断があって、2時間を集中しきることができない。登場人物の人物像をなじませるようなぼんやりとした会話が続くシーンでは、ついスマホに手が伸びてしまう。

 スカイプ公演は、その時に観れるものが全てだ。録画はできないし、見返すこともできない。4分割された画面のどこに注目するかは観客に委ねられている。6回ある公演はすべてリアルタイムで演じられているから、細部まで一致するお芝居は二度と観られない。それは、劇場で観る演劇と似ているように思う。

 あとはやっぱりスカイプが怖いね~~~。操作ミスでうっかり私の顔と声が配信されてお芝居をぶっこわしてしまうんじゃないかって緊張感があって気が抜けなかった。

 オンライン飲み会ってどれだけ世間に浸透しているんだろう。この時世を反映した作品だけじゃなくて、恋愛とか友情とかをテーマにした作品もスカイプ配信形式で作れてしまうのかな。今の私は全然想像できないけれど、もう少ししたらオンライン飲み会の「あるある」ネタも蓄積されて、多くの人に共有されるようになっていくんだろうか。

 社会の変わり目に立っているような漠然とした不安を駆り立てられる作品だった。