【感想】わが花

1999年のNY、三番街に建つ古いアパートで日本人ライターの紺野丈雄は取材を続けている。

 取材相手は第二次大戦後にGHQが日本民主化のために設立した部署CCD(民間検閲局)に所属した経験を持ち、それ以前にはマッカーサーの補佐的立場であったというアメリカ人、フォービアン・バワーズ。

50年以上前のことを驚くほど鮮明に語るバワーズの様子に違和感を覚えた紺野に、ハウスキーパージーンはこっそりと耳打ちする。

「最近は特にね、向こうにいる時間が長いみたいなの」

若かりし頃へと逆行したバワーズは、紺野のことも、当時親交のあった「キイチロ」という人物だと思い込む。

紺野演じるキイチロの奇妙なインタビューが始まり、バワーズの意識は1940年代の日本へと融けていく…。

歌舞伎の上演規制と解禁に携わった検閲官たちの目を通して描く、「権力と芸術」或いは「人と芸術」の物語。

 

 

 客席に座った。5センチ先にはステージがあった。最前列にフェイスシールドは配られていなかった。とすれば、出演者もマウスガードをしないのだろうと思った。 

  新型ウィルスが猛威を振るい、ディスタンスを保たなければならない世の中になってから、いくつかの舞台を観た。私が観た作品のほとんどはステージと客席との距離が2メートル以上離れていて、一番前に座る観客はフェイスシールドを着用していた。ステージを照らす照明がプラスチックに反射し、うっすらと膜が張られた視界のなかで、はやく元通りになればいいのにと思ったことは一度ではない。板の上から放たれる声は、マウスガードに反響して妙な響きを帯びていた。

 劇中、出演者が手を伸ばせば届く距離を通り過ぎるのを観ながら感じたのは、「戻ってきた」ということだった。私が観たいと切望していたそれまでの演劇と同じもの、同じ空気が、目の前にある。それがとても感慨深かった。バワーズの熱狂的ともいえる歌舞伎への熱意はどこから生まれるのだろうと考えながら、あるいは、戦後という時代背景を考えながら、観劇しているこの時間だけは“今”を忘れて作品に集中できる、と思った。

 そうとまで思ったからこそ、バワーズを問い詰める紺野の言葉のひとつひとつが突き刺さったのだろう。

 紺野は言う。演劇はそのときその場所から見えるものを映し出すのだ。だから変容する時代に応じて歌舞伎も変わる必要があったのではないか。過去を再現するだけの演劇を観たとき、その時代を生きている人間は何を観ることになるのか。

 

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 私が戻ってきてほしいと願うものは一体""何""なのか。 

 演劇を観ては、感想を書いてきた。感想を書くということは、自分の感情を見つめ直し、理解するということだった。あるシーンに心を動かされた理由を言葉にしようともがくときはたいてい、自分自身の体験に行き当たる。観劇することは、私自身を知ることでもあった。

 マスクを付けて外出することが日常になっている。顔を覆う布がないと、服を着ていないような居心地の悪さを感じるようになった。1年かけてじわじわと浸透してきた新しい生活様式によって変わってしまった感覚は、このウィルスに打ち勝つことができたとしても、「無かった」ことにはならない。

 戦後すぐは、アメリカ軍の検閲によって歌舞伎の公演がほとんど出来なくなってしまったそうだ。80年以上前の出来事を描いた作品で、バワーズが歌舞伎の現状について述べる台詞が、まるで現在を語っているかのように響いてくる。アメリカという権力に対して声を上げなかった戦後の日本人の姿が、現在と重なって感じられる。きっと2年前に観たら、全く違うことを感じただろう。バワーズの歌舞伎に対する熱意に対する感動が感想の大きな部分を占めていたかもしれないし、芸術が人を救うことについて考えていたかもしれない。作品を通して、私の置かれている環境が変化していることに気付かされる。

 これからも、そして現在も、時代を反映した作品がきっとどこかで上演されている。私はずっと、「元に戻る」ことを願っていた。けれど、過去に戻ることはできないのだ、と漠然と思う。